アメリカン・ボードの宣教師アリス・ペティー・アダムス先生は、花畑地区に日曜学校を開校しました。その後も私立花畑尋常小学校、花畑キリスト教講義所、花畑裁縫夜学校を開設、そして1905年(明治38年)に花畑施寮所を開き無料診療を開始します。この施寮所は岡山博愛会病院の原点です。
その後も様々な社会事業を行い、これらの活動から1923年(大正12年)には藍綬褒章、1936年(昭和11年)には勲六等瑞宝章を受賞し、「岡山四聖人」の1人に称されるようになるのです。
生涯清貧を貫き、医療・福祉事業にその身を捧げ、乳癌を病み不自由と痛みの中で1936年(昭和11年)に帰国され、1937年(昭和12年)に享年71歳で召天されました。
アダムス先生は、聖書に記された「全ての人を愛する神の愛」の実践のもと「博愛会」と名付けました。先生の精神は今も私達岡山博愛会の一同に受け継がれ、「自分のして欲しいように人にしてさし上げる」という聖書の言葉を職員一同実践しています。
太平洋戦争で岡山博愛会の全施設は焼失しました。終戦から2年後の1947年(昭和22年)に岡山市門田屋敷に仮診療所を再建、岡山博愛会病院本院が開設したのです。その後1948年(昭和23年)には岡山市花畑(現御幸町)の焼け跡に保育園舎を再建、1951年(昭和26年)にはアメリカンボードより資金援助を受け、花畑に病院を新築しました。
そして1952年(昭和27年)、現在の社会福祉法人 岡山博愛会が誕生したのです。
設立80周年記念として1972年(昭和47年)にホームアダムスホームを建築、1991年(平成3年)には岡山博愛会100周年を迎えました。平成に入ると現在の岡山市江崎に新病院を新築移転、介護医療院みくに、在宅総合支援センター アリスの開設、保育園の新築移転、在宅サポートセンター ミッションハウスの開設と現在の形へと発展していくのです。
養護老人ホーム 岡山市友楽園
できる限り自立した日常生活を営むことができるよう尊厳を守り、お一人おひとりに寄り添った支援を提供します。
訪問介護ステーション ホサナ
岡山市友楽園内に開設された訪問介護ステーションです。自分らしさを大切に清々しい気持ちで日々の生活が送れますよう、自立支援の姿勢で援助いたします。
在宅総合支援センター アリス
在宅医療、在宅介護の拠点で、高齢者の集う憩いの交流スペースです。居宅介護支援事業所、訪問看護ステーション サマリア、デイサービスセンター ハレルヤを有しています。
在宅サポートセンター ミッションハウス
在宅サポートセンター ミッションハウスは3階建ての複合施設です。1階に地域包括ケア推進として期待される「看護小規模多機能型居宅介護」と地域の診療所となる「御幸町クリニック」、2階・3階に認知症対応型の「グループホーム」を2ユニット開設しています。